名前はまだない

6割のフィクションと2割の嘘1割の真実で構成されております。

読めば変わっていたかもしれない。

休日とは不思議なもので、休みになればアレをしようコレをしようと色々思いつくのだが

やっとの思いで休日にたどり着くと忘れている。

 

特に先週はお盆前だったので、色々用事があったのだが結局何もしていない。

 

ブログも書こうと思っていたのだが… 投稿日を見てもらえればと思う。

最後の抵抗として本屋に行ったので、それについて書いておく。

 

 

私は生産性の無い休日に罪悪感を感じた時に行く場所がある。

100均か本屋だ。

 

100均って凄いのだ。

行けば何かしら家に足りない物が見つかる。

ちょっとした物を掛けるフック、珈琲に蓋をするシリコンカバー

仮に無駄になっても数百円だ。無計画に必要な物を買ってもリスクは少ない。

家に帰って買った物を配置すれば、あら不思議QOLが向上し今日一日も無意味じゃなかったなと思える。

 

本屋は言うまでないだろうが

本棚の間を練り歩き、一冊これだという物を買って家で読めば良い。

「休日何をしてましたか?」と聞かれれば、

「ゆっくりしたかったので本を読んでました。」と言えばいい。

アリバイは完璧。まさか自堕落に過ごしていたとは思われない。

 

不思議なもので、「休日動画をみて過ごしていました。」というのと「本を読んでました。」というのでは印象が違う。

本質的な部分で共通点が多いと思うのだが読書というのは高尚な趣味に聞こえる。

ここについては賛否あるだろうが、言いたいのは、それを逆手にとって休日の充実感をかさ増ししてやろうということだ。

 

そういう訳で私は本屋に向かった。

休日だからなのか、人が多い。夏休みだからかもしれない。

 

本屋に着いて一息つく。

とりあえず小説が置いてある方へ向かう。

新作の本が置いてあるコーナを眺める。

私でも知っている有名な作者の本が並んでる。

気になるタイトルの本を手に取り、あらすじを読んで棚に戻す。

これを繰り返す。

普段なら、面白そうな本が見つかるのだが今回は不調だ。

断っておくが本が悪い訳ではない。あくまで私の心の不調だ。

店員さんのおすすめの本棚に作業場所を移す。

おすすめの理由も流し読みしておく。

仕事で書いたんだろうなという物、本当に好きなんだろうなという物、様々だ。

 

ここでも見つからなかった。

となると、五十音順に並んだ本の中から探さなければならない。

流石に効率が悪いので帰ろうかと思った時にエッセイの棚に目が留まった。

 

「本棚には裏がある」という本だ。

 

タイトルを見て「良い!」と思った。

一つの文でいくつも意味があるのが好きなのだ。効率が良い。

エッセイの類は読んだことがなく、後述するが読むのに抵抗があった。

それでも堪らず手に取る。最初のページをさらっと読む。

 

面白そうだ。

 

それと同時に怖くなり。本棚に戻し帰路につく。

 

私は発想や感性は自分の内側から獲得したいと思っている。

人に言われ、気づかされ、それを自分の価値観や発想とするのが嫌なのだ。

それなのに私を構成する価値観は殆どが受け売りだ。

人に影響されやすい質で、良しと言われれば良し、悪しと言われれば悪しとなる事が多い。

実際今書いている文章もどこかの何かの継ぎ接ぎでしかない。

様々な意見を聞き、それを判断して己の価値観と出来れば良かったのだが選択という行為が苦手なのだ。

 

その為、自分の感性に合ったエッセイなどを読むと、私はその思想に二度とたどり着けなくなるのだと思い怖くなる。自分で辿り着きたいというエゴもある。

ただ私個人では多分たどり着けないのだろう。ご丁寧にヒントを散りばめてくれる様な人はいない。

 

最近ある言葉を知ってこの考えを変えようかと思っている。

また、影響されているのだが…

 

車輪の再発明

 

すでにある技術を再度自力で発明しても無駄だということだ。

技術においてはその通りだと思うが、思想については一考の余地があるなと思う。

 

ただ、本当に自分の価値観を求めるなら、すでにある価値観を再発明するのではなく

新しいものを探さなければならないのでは? と思うようになった。

結局やることは変わらないのだ。

 

私はあの本を読むべきだったし読めば変わっていたかもしれない。

結局何も買わずに家についたが休日を無駄にした罪悪感は特になかった。