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6割のフィクションと2割の嘘1割の真実で構成されております。

理由はシンプル

メンタルを保つために理性的に行動をした結果得た感情は、果たして本心なのか良く分からなくなる。

そうあるべきなので、そう感じているのか。自然にそう感じているのか。

理性を介在させると混乱するので最近は良く分からなくなったらシンプルにすることを心掛けている。

何が言いたいかと言うと今週もシンプルに書くことが無いし、忙しいのでお休みという事だ。

本日の心情

今週は色んな事が起こり過ぎて、あった出来事に対して深く考える時間がありませんでした。

一つのことで忙しいなら良いのですが、色んな種類の事が起きると中々心が追いつきません。少し勿体なく感じます。

かなり大事な事から、他愛もない事まで色々あったのですが喉元すぎればと言うか、どんな気持ちだったのか、忘れてしまいました。何かにメモしておこうと思いながら、そのままにしていたのが悔やまれます。

流石に大事な事は覚えてますが、公に書くような事でもないので、今週は書くことがありません。

ここ2週間ほど、本も読めてないし、書けてもないのでムムムという感じです。

来週には諸々落ち着くので、また頑張ろうかなと思います。

通勤において一番大切なこと

通勤において一番大切なこと。

それは、如何に電車で座るか。これが一番大切なのだ。

よく移動中を効率的に使うべきだと言う人が居る。口の悪い人だと蔑んでくる人もいる。

本を読んで勉強するとかニュースを見て政治や経済の動向をチェックするだとか。

私から言わせれば、そのような行為は恵まれた才能によるものだ。

それは僕だって電車で酔わなければ本でも読むしニュースも見る。なにも虚空を見つめてボーと考え事をすることに時間を使ったりしない。

しかし、満員電車に揺られながら文字でも見ようものなら、ほんの数秒で酔ってしまう。酔ってしまえば通勤時間の1時間30分は簡易的な地獄となる。

座りさえすれば酔わないので、如何に電車で座るか。これが一番大切なのだ。

 

私の通勤は乗り換えが数回ある。

まず最初の駅では傾向的人が少ない且つ、降りる駅の階段が近い号車に乗る。

座れることは滅多にないが比較的すいてるので数秒で酔うようなことはない。調子が良ければ立ったまま本を読んでも問題ない事もある。

その後、新宿駅で乗り換え中央線で神田駅まで行くことになる。

ポイントはここだ。

中央線では新宿駅で半分以上の人が降りるがここで座れることはない。新宿駅に来るまでに乗っていた先住民たちが空いた席に座るからだ。

問題なのはどこに立つか。

電車ではエレベータの様に 後から乗った人が最後に降りるという どう考えても非効率だろという様なマナーはない。座っている人の前に立っている人。これがその席が空いた際の所有権を得るのだ。要するに神田駅までの二駅、四ツ谷駅御茶ノ水駅で降りる人、これの前に立つ必要がある。

まず四ツ谷だがここでも結構な人が降りる。駅近くには大学があり、南北線東京メトロへの乗り換え、職場としても降りる人が多い。その為、傾向と言う物はあまりない。

どの様な人の前にでも三割程度の確率で座れる。ただ、キャリーケースを持っている人、明らかな観光目的の人などは東京駅まで行く可能性が極めて高い為、回避した方が無難となる。

そして御茶ノ水だが、これは私の完全な偏見なのだが、お洒落なおば様が降りることが多い気がする。条件で言えば大学も乗り換えも豊富であり、四ツ谷と変わらないのだが何故か確率が高い。体感で言えば50%はある。出勤時間的に偶々その傾向にあるのかもしれない。

もしここで座ることができなかった場合、最後の乗り換えまでは基本的に立っていることになる。最後の電車もタイミングに寄ってくるため自分では工夫のしようが無いのだ。

そういう訳で私はいかに電車で座るか。これを考えながら虚空を見つめているのだ。

消えたSuicaとモバイルSuica

私は一度習慣になった手法というか手続きの様なものはあまり変えないタイプだ。

例えば出勤ルートだ。新しく近い道が出来ても大きな違いがなければ慣れている方で出勤する。

結果的には近い道に慣れるのがベストなのだが、慣れるまでのイレギュラーが好きではないのだ。普段通りにしとけば良かったと思いたくない。

そんな中、私はモバイルSuicaに移行した。何かあって決心したわけではない。単純にSuicaを無くしたのだ。無くして初めて知ったのだが現在Suicaカードは新規発行をしていないそうだ。流石に無いと不便なのでモバイルSuicaと言うわけだ。

色々手続きをたらい回しさせられて面倒なのだろうなと思っていたが、存外すんなり登録できた。

クレジットカードのところだけ3D認証がどうとかで引っ掛かったがそれ以外は簡単なものである。

そうなると今度は不安になってきて、何がどうして連携しているのか気になってくる。身勝手なものだ。

上手く使えなくて仕事を遅刻したくなかったので、試しに一駅使ってみることにした。やってみると、なんとアプリを起動しなくても改札を通り抜けられたのだ。一体どういう技術なのか。

兎にも角にも、便利なのでもっと早くしておけば良かった。財布をポケットに入れておかなくて良いのが一番うれしかった。そう思いながら改札を出ようとするとエラー音と共に改札が閉じた。私の手には無くなったはずのSuicaカードが握られていた。

エアコンを掃除した話

まだまだ寒い日が続いてます。

最近、暖房の効きがどうも悪いです。

よくよく見てみると、いや感じてみると風が両サイドからしか出てないのです。中央から全く風が出ていないので、これでは中々温まりません。

年末にフィルター類は掃除したので、故障、もしくは内部が詰まっているのかだろうと思い。まず掃除をすることにしました。

エアコン内部にはシロッコファンと言う筒を横にした様な形状のファンがあり、それが原因かもしれないと当たりを付けました。

実は前から汚いなとは思ってましたが、中々億劫で掃除まではしてませんでした。

そもそも掃除のやり方も知らなかったので、綿棒でファン一枚一枚を掃除する形になります。

調べるとブラシだとか、アルカリ性のスプレーだとか色々書いてありましたが、取り敢えず原因かどうかを知りたかったので原始的な方法で、と言うことです。

綿棒で擦ってみると出るわ出るわ。

昔話のアカを集めて子供を作る話を思い出しました。

掃除機で吸いながら大体の埃を取り終えて、一度エアコンを動かしてみると、取りそびれたホコリが部屋中を舞い散りとんでもないことになりました。

結局部屋中を掃除する羽目になり準備の大切さを思い知りました。ただエアコンの掃除をしようだなんて気分には滅多にならないので、準備から始めていては掃除するのは来年だったでしょう。

結果はやっぱりシロッコファンが原因だったようでエアコンの風量は戻りました。故障ではなかったみたいです。

今度はきちんと準備してから綺麗にしようと思います。

 

最初はちょっと目が痒いだけだった。

当時は偶に目が痒くなるなと思っていただけだった。

 

ある時、ふと目が痒くなるのは春先の2月中旬から3月の頭頃だと気が付き、そうかもしれないと思った。それでも、少し目が痒いだけなので気にするほどではなかった。

 

3年前ほど前から、くしゃみや鼻水が併発するようになった。それでも、症状としては圧倒的に軽度であった為、取り立てて騒ぐような真似はしなかった。

今年の2月になるまでは、

 

今年は去年までとは訳が違った。重度のくしゃみや鼻水の併発に加え、倦怠感まで付いてきたのだ。とうとうなってしまったのか。そう思った。

 

人には許容量があり、それを超えると症状として現れると聞いたことがある。限界を超えてしまったのか。

 

それにしても世の人々はこれほどの症状に耐え、日帯生活をしているのかと驚愕した。

二日で鼻紙は底を尽き、仕事の進みも悪くなってきた時、ようやく薬を飲むかと決意した。

私は花粉症なのだ。医師の診断は受けていないが、認めざるを得ない。

 

薬局で薬を買い、服用する。花粉症の薬は眠くなると聞く。一応眠くなりにくいとうたっている薬を選んだが、なるほど、ボーとする。先ほどまでの倦怠感に加え、思考も鈍く、頭を使うのも面倒だった。

 

結構強力な薬らしい、その割にはあまり効果が見られないが。

仕事が終わる頃には、鼻の奥から目の奥にかけての染みるような痛みと後頭部に頭痛がしていた。

 

堪らずベッドに横になる。

ここまで辛いものだとは、これならいっそ風邪だったら良かったのに。そう思った。

と言うか風邪ではないだろうか。冷静に考えるとおかしい。

 

熱を測る。38度3分。風邪である。

 

そういう訳で、先週はブログをお休みした次第である。

工夫は人生の彩

スーパーでカゴに買う物を入れ、レジに並ぶ。

商品を選んでいる時は、何を買うか値段はどうだ、と色々考えているが、会計をするまでの待ち時間はあまり考えることが無い。しいて言うなら財布の中身を確認し会計の準備しておくことだ。

 

少し愚痴を書くが、値段が出てから財布を取り出し始める人は店員さんがバーコードを読んでいる間に何を考えているのだろうか。忙しく考える事が多いのだろうが財布ぐらい準備すればいいのにと少し思ってしまう。

 

定期的に行う事は効率化しておきたいという私の価値観に沿っていないだけのだが、人は暇になると他人の事が気になるのだなと改めて自分を戒める。

 

そういう私は買い物周りで効率化出来ていない事がある。それはレジ袋をスマートに開くことだ。

レジ袋が有料になった影響か、会計がセルフで行われるようになった為か、最近はレジ袋を開くという行為が多い。以前は店員さんが開いてカゴに入れてくれていたり、そもそも袋に入れてくれていたりしていた。マイバックを使えばと言われるかもしれないが、ゴミ袋に使っているので結局買うならと定期的に買っている。

そこでレジ袋を開きたいのだが、これがなかなかスマートにいかない。

よくある水を手に付けて開く方法は楽なのだが、何とか別の方法でパッと開きたいのだ。

縦から、横から、下から、手のひら全体を使ってなど色々試しているが、中々上手く行っていない。

そんな中、100円ショップに寄った際、レジ袋の横の部分が段違いになっていることに気が付いた。

今まで何故そうなっているのか考えた事も無かった、畳む時にピシッと揃わないので嫌いだったぐらいだ。

これは袋を開きやすくする為のものだったのかと、今更ながら気が付いて目からうろこであった。

この様な人への配慮や余裕がないと出来ない、ちょっとした工夫というのが私はかなり好きなのだ。

「工夫は人生の彩」と言うのが座右の銘なぐらいだ。少々言い過ぎたが、それぐらい嬉しかった。依然としてレジ袋を開く手法は考えなければいけないが、開けやすいレジ袋を見るたび嬉しくなれるならこのままでもいいかもしれない。