『ことわざ』は好きな方だ。
何となく知った気になるし、人にアドバイスをする時もそれらしく聞こえる。
失敗をした時も『ことわざ』一つで教訓を得たような気分になる。
しかし 改めて考えてみると、『ことわざ』からは、何の教訓も得られない。
そもそも状況を例えているだけなので、比喩の様なものだ。
アドバイスをするにしても相手の状況を考えてする。
相手がもう少し我慢した方が良いと思えば「それは、石の上にも三年だよ」と言う。
結局、我慢した方が良いかは自分で判断しており、『ことわざ』がそれを教えてくれることはない。
別の場合には、「善は急げ」と言うし、「急がば回れ」ともいう。
「果報は寝て待て」「継続は力なり」「雨垂れ石を穿つ」「塵も積もれば山となる」「急いては事を仕損じる」「待てば海路の日和あり」
と言ったかと思うと
「思い立ったが吉日」「鉄は熱いうちに打て」「旨い物は宵に食え」「好機こうき逸いっすべからず」
とも言える。
ではどうすればいいのか
「機に縁りて法を説け」 という事になる。
これでは、何の教訓も得られない。